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採掘から精錬までの作業が、すべて人力・手作業で行われた石見銀山。1309年、石見の守護であった大内氏によって発見され、16世紀初頭に博多商人の神屋寿禎によって本格的開発がはじまったとされています。
600カ所以上もの露頭掘り跡や坑道跡が今でも残る銀山山中。そしてそれを守るかのように連なる豊かな山林、港まで続く街道沿いの武家屋敷や町屋に、約400年続いたかつての繁栄の面影を見ます。
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| Iwami Ginzan Silver Mine [石見銀山遺跡]
16世紀、石見銀山では、東アジアの伝統的な精錬技術である灰吹法(はいふきほう)を取り入れることによって銀の現地生産を軌道に乗せ、良質な銀を大量に生産しました。 17世紀初頭には支配体制を確立するため、柵を巡らして柵内と柵外を区分しました。この柵内(さくのうち)の範囲は、江戸時代の「正保二年石見国絵図(1645年)」によれば東西2.2km、南北2.5km、面積は約300haにもなります。
また、石見銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれ、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。
1568年(永禄11年)、ポルトガル人の地図製作者フェルナン・ヴァス・ドラードが、インドのゴアで作った「日本図」は、東日本の形が不明確で、列島がいわゆる「エビ形」をしています。石見の位置にポルトガル語で「R・AS MINAS DA PRATA(ミナス ダ プラタ)」=銀鉱山王国=と記載されています。現在、スペイン・マドリードのアルバ公爵家が所蔵しています。
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[詳細] |
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Official Name [名称] |
Iwami Ginzan Silver Mine
石見銀山遺跡 |
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Date of Inscription [登録年] |
2007
平成19年 |
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Criteria [区分] |
World Culture Heritage
文化遺産 |
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Address [所在地] |
Shimane, Ohda city, Nima Town and Yunotsu Town
島根県大田市、仁摩町、温泉津町 |
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Estabilishment [創建年] |
1309
(伝)石見の守護であった大内氏により初めて石見銀山が発見される Kamakura Period |
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