The Japan Info LOG IN | REGISTER
English | 日本語
 
 
Seasons / NatureSeasons / Nature [四季/自然]
world heritage siteworld heritage site [世界遺産]
national treasurenational treasure [国宝、重要文化財]
traditional art & crafttraditional art & craft [伝統美術、工芸]
Culture & LifestyleCulture & Lifestyle [文化・ライフスタイル]
Culture & LifestyleBusiness / Technology [ビジネス/テクノロジー]
Geography [地理] History [歴史]
特集II 「古都奈良の文化財」

古都奈良の文化財誕生の謎を解く
古都奈良の秘話に迫る

特集III「古都京都の文化財」

古都京都の文化財
登録されている十七の神社仏閣
日本独自の文化形成・国風文化

特集IV「屋久島の自然遺産」

屋久島の歴史と共に息づく生命

特集V 「白川・五個山の合掌造り集落」

山岳地帯で育まれた合理的な暮らし

特集VI 「姫路城」

戦乱の中に刻まれた歴史と工夫

 
 
目に刺さるような白が美しいその姿は、まるで白鷺が天に向かって飛び立つよう。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城とも呼ばれている姫路城は、その優美さと存在感で多くの人々をひきつけます。城郭建築の最高傑作であるとも賞賛されているその美しい姿とは裏腹に、徹底した防御設備が施されており、城を守ろうとする情熱が伝わります。
©JNTO
World Culture Heritage
 
 
Himeji-jo [姫路城]

姫路城は法隆寺とともに1993年12月11日、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産リストにその名が登録されました。世界150余か国・ 550以上の文化遺産・自然遺産とともに、世界に広くその素晴らしさが伝えられ、かけがえのない「人類の宝」となりました。そして、2001年には、国宝指定70周年・築城400周年を迎えました。
人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、など目を見張るところはたくさんある。姫路城が建つ地は、標高70mの姫山である。
 
一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男、貞範(さだのり)です。当時播磨国上郡で勢力を誇っていた父則村は、鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇に加勢し、千二百騎の兵を現在姫路城のある姫山に集結させ、京都に向かい大きく貢献しました。そしてその13年後の1346年に父の意向を受け二男の貞範が姫山に山城を築きました。これが姫路城の始まりと江戸時代から伝わっているものである。
 
古文によって、城の存在が明らかになるのは1561年で黒田重孝・職隆の築城である。そして、織田信長の命により天正8年(1580)、羽柴(当時)秀吉 が入城した。毛利攻めの本拠地としてこの地を選んだ秀吉は、4月から翌年の3月までに、わずか1年で三層の本格的な天守閣に改築をします。
 
慶長5年(1600)、関が原の戦いで修理を得た徳川家康は、池田輝政に36万8000石を加増して52万石の第名として姫路城を与えた。これは、西国の豊臣家にらみを利かせる為でもあり、それには威風堂々とした城を造営する必要があった。
 
輝政の没後、後を継いだ嫡男の早世、その子の幼少などのため、池田氏は鳥取城に移封さ、1617年に本多忠政が姫路城に入った。 忠政は、西の丸やその外周の櫓を造ってさらに守りを固めた。さらに身内の為にいくつか造営し姫路城の全容が完成した。 しかし、豊臣家が滅び、西国牽制の役割が失われ本多氏時代は、石高が十五万石と減り内情は池田氏時代とは様変わり したようである。以降数々の徳川にゆかり深い大名に入れ替わるが石高は変わらず手入れが行き届かないまま、維新を迎える部分もあった。
 
明治政府が全国の城を存城と廃城に分け、姫路城は陸軍使用という条件で存城とされたが、歩兵隊の宿舎や訓練場建設のために三の丸 は取り壊され、天守閣や石垣などは荒れ果ててしまった。しかし、この状況を心配した陸軍省の中村重遠は陸軍卿(当時)の山県有朋に直訴し明治12年(1879)に姫路城の保存が決まり、陸軍の費用で修理が行われる事になった。戦争中、姫路城の白壁は非常に目立ち、また、陸軍の部隊が置かれていたのでアメリカ軍に攻撃対象とされることは明らかであったため、黒く染めた網で城の主要な部分を覆い隠くした。しかし、1945年(昭和20年)7月3日の姫路大空襲で姫路城下は灰と帰し、城内にも着弾するが本城跡に建てられた中学校校舎のみが焼失しただけで、西の丸に着弾した2発は不発もしくはすぐに消火された。また大天守にも焼夷弾が直撃したものの、不発だったなど、城本体は奇跡的に炎上を免れた。翌朝、焦土の中に無事に建つ姫路城を見て、城下の人々は涙を流さずにはいられなかったという。そして、その後も市民のねばり強い努力もあり姫城は今日まで永らえてきた。

<姫路城を支える心柱>
姫路城を支えているのが西の心柱、東の心柱の二本で高さ24.6m、根元直径95cmでそれぞれ地階から6階の床下まで延びています。 西の心柱は昭和の大修理で新しく変わったが、東の心柱は地下部分は取替えられたものの地上部は築城時のままである。以前は欠陥を持つ 建築とされた姫路城だが、三つ構造を重ねることによって生じた柱の‘ずれ’が地震時の揺れを吸収する機能であることが判明している。

<要塞機能>
池田輝政の造営時はまだ徳川政権が政治的安定に至っていない時代だった。その為、姫路城が徹底的に実戦用に造られている。壁の至るところに武具掛けがあり、火縄銃や槍などがある他、階段横には武者隠しも設けている。内曲輪の中は螺旋上に造られ天守閣は目の前に見えていながらも、大回りしなければたどり着けないようになっている。そして、天守閣まで攻め上るにも幾つもの門を潜り、折れ曲がり、時には狭い場所に閉じ込められたりする。他にも様々の仕掛けがある。例えば、狭間である。銃や弓などで ここの穴から迫ってくる相手を狙い撃ちするのである。正方形、長方形だけではなく三角形や円形まで様々でところによってはそれらを 規則正しく配列塀もある。天守と土塀合わせて約500個の狭間が残っている。穴を覗いてみると下方にいる人々の姿がよく捉えられることができる。敵の動きを観察し、撃退するのに適している場所に設置されている。

Description [詳細]
Official Name [名称] Himeji-jo
姫路城
Date of Inscription [登録年] 1993
平成5年
Criteria [区分] World Culture Heritage
文化遺産
Address [所在地] 68 Honcho Himeji city, Hyogo
兵庫県姫路市本町68番地
Estabilishment [創建年] 1346年
南北朝時代正平元年 / 貞和2年Nanbokucho [南北朝時代]Nanbokucho Period
New Photo >MORE PHOTOS
姫路城
白神山地
姫路城 天守閣 Himeji Castle
姫路城

 
Link [リンク]
Welcome to Himeji City [姫路市 / 姫路城大図鑑]
Welcome to Himeji Castle [世界遺産国宝姫路城]
UNESCO World Heritage Centre [ユネスコ本部]
Wikipedia [ウィキペディア]
世界遺産[世界文化遺産]姫路城
HIMEJI CITY 姫路市
  ホーム | 特集 | インタビュー | 地理 | 歴史 |四季/自然 | 世界遺産 | 国宝、重要文化財 | 伝統美術、工芸 | 文化・ライフスタイル | ビジネス/テクノロジー |
フォトギャラリー|フォーラム | イベント 
 
  広告掲載について | ご挨拶 | ヘルプ | 利用規約 | 個人情報保護方針  
  Copyright (c)2009 The Japan Project     Developed by Lotus Web Studios, Inc.