◆インタビューを終えて
高機能な撮影機材が安価に手に入り、誰もが気軽にシャッターを切ることができる時代になった。その事自体は喜ばしい事かもしれない。特にここ数年でデジタルカメラが普及し、今やほとんどの携帯電話にカメラが組み込まれている。便利になったのは写真の世界だけではない。おそらく他のあらゆる分野で起こっている事象だと言える。 近代に入り、我々が疑いなく信奉しそして開花させた物質文明は多くのマイナス面を抱えていることは誰もが唱えることである。モノだけではない。人間の考え方や生き方さえ薄っぺらくなってしまっており、現在の延長線上に豊かな社会が訪れるとは私のような楽観論者でも俄に信じ難い。
私たちは永坂氏の作品を通じ「物事の本質」について考えさせられるのではないだろうか?「撮影する」つまり「対象と向き合う」ことがこんなにも気軽になった現在だからこそ、永坂氏の作品は本物の迫力を放ち、徹底的にその違いを教えてくれている。
以下の文章は永坂氏のブログより抜粋させて頂きました。
今のデジタル写真は『表現』を狭くしている様な気がする。 (機械写真である、ロボット 写真だ)そうでもないよーと言われる しかし、デジタルのいい作品が少ない。感動しないんだなー だれが、写しても到達点は似ているーその似ている作品が山となって あふれているから、 今までの銀塩写真が見なおされている。 デジタルを扱っている方が、歴史ある写真作品を作る事が出来ていな い ので、ますますデジタル写真が狭い表現になっている。 デジタルはーインクの印刷 銀塩はー写真の色(乳剤)
写真の基礎 デジタルカメラであろうと、マニアル、カメラであろうと、 多くの写真は、被写体が必要である。 被写体とは、写されるもの、 写されるものと、写すものとの関係が、写真の出来、不出来を 左右する。 写す方のー意識がどの程度であるのか、 写される、被写体の性質(物、者、人、自然)を、良く知る。 知る、織る、と、漢字で、その意味合いの段階を現わしているが 被写体をどの様に認識しているかが、問題である。 どこまで、深みにはまるか。
(中略)
写真は被写体の本質を見極めるのが、写真の醍醐味であると思う。
もう、20年前に撮影した空海像。今、撮影の機会が空海により許された様だ、 住職は本堂で撮影前に、お祈りをする。 この様な撮影につきものの、アシスタントは使わなかった。 ほとんどの方が、仏像を物とみなす(商品)。 私はいや、違うのである、 多くの方々の病を直し、癒しを与えた空海尊像、延々とその魂は 空間の中に生きている。 私は、仏像を写すのに、照明器具を、持って行かなかった。 その、堂内のあかりで、写すべきと考えるからだ、なにも多くのライト、多くの アシスタントはいらない、そんな事をすると、実態が写らない。 と、思った。 しかし、おりしも、雨模様の明かりは暗い。 大型カメラであるのでなおさらである。 気が長くなる、撮影に付いて下さった。御住職、1枚120秒露光に も、表情をくずさず12枚撮影と、約3時間、(休みなし、ほとんど無口) に、最後まで撮影を見届けて頂いた。 その間、空海は壮観になったり、何か語りかけているようであった。 住職には、何かメッセージが伝ったと言う。 その事を気にしながら、露光して行く。いつの間にか日が暮れていた。 それでも、何かを求めて何枚も写した。 ライトを使わない、撮影にみんな不安であったことでしょう。 私自身も、暗くて露光がはかれないから、不安であった。 昨日、現像のあがりを見て、よかった、と安心した。 本日住職に見て頂くと、わー、今までの内で一番の作品だー と、喜んでいただいた。 空海が喜んでいるのだー。嬉しかった。 |