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特集II 「古都奈良の文化財」

古都奈良の文化財誕生の謎を解く
古都奈良の秘話に迫る

特集III「古都京都の文化財」

古都京都の文化財
登録されている十七の神社仏閣
日本独自の文化形成・国風文化

特集IV「屋久島の自然遺産」

屋久島の歴史と共に息づく生命

特集V 「白川・五個山の合掌造り集落」

山岳地帯で育まれた合理的な暮らし

特集VI 「姫路城」

戦乱の中に刻まれた歴史と工夫

 
 

 

特集-III 『古都京都の文化財』

「世界遺産に登録されている十七の神社仏閣」
様々な時代背景の中で建立された神社・お寺・城の歴史を振り返ります。

©Kyouto Prefecture/©JNTO
World Culture Heritage
Historic Monuments of Ancient Kyoto [古都京都の文化財]

 

<賀茂別雷神社(上賀茂神社)>
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社である。 神社から約2km離れている神山(こうやま)に賀茂別雷大神が降臨し、天武天皇6年(678年)に現在の本殿のある場所に鎮座したという。 神山は賀茂信仰の原点であり、神話の舞台でもある京都最古の神社である。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。 21年に1度の「式年遷宮」のことや神職が4時間もかけ形成するこの巨大な砂の円錐形は「立砂」など見所がたくさんある。

<賀茂御祖神社(下鴨神社)>
賀茂御祖神社:かもみおやじんじゃ(下鴨神社)は賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社である。 下鴨神社は通称名であるが、どちらかと言うとこちらの方が知られている。社殿が造営されたのは天武天皇の時代の(677年)とするのが一般的である。 本殿には、賀茂別雷神社の祖父神と母である賀茂建角身命(たけつみのみこと)と玉依媛(たまよりひめ)が祀つられている。創祀年については 諸説が多々あり一定していなく有史以前に遡るほど古いらしい。

<教王護国寺(東寺)>
桓武天皇が平安京(794年)に遷都した際、都の鎮護ために正門である羅城門の東に東寺、西に西寺を建立したが西寺は現存しない。 東寺は796年(延暦15年)に創建され、最初に金堂が建てられたと伝えられている。多くの人が見たことある五重塔(国宝)は57メートルで 日本最高の塔である。現存の塔は、時の将軍徳川家光が1643年に再建奉納したものである。南大門、金堂、大師堂、講堂など 数多くの国宝や重要文化財が東寺にはあり中でも講堂内にある”立体曼荼羅”は空海が”密教の宇宙観と教えを表す漫茶羅”を立体的に 表現したものである。大日如来を中心に計21体の仏像がズラリと並ぶ壮大な空間は言葉で表すことがむずかしい。

<清水寺>
奈良時代末期に音羽の滝を探し当てた僧、延鎮上人が778年に開山したのが清水寺の始まりだとされているが、伝説的で 坂上田村麻呂による創建というのが一般的のようである。しかし奈良系列の仏教に属していた為に比叡山と対立 することが度々あった。数々ある京都の寺の中でも知名度が抜群に高いのは”清水の舞台”で知られている 本堂は、征夷大将軍・坂上田村麻呂の寄進で十一面千手観音が祀られている。そしてこの舞台を支える梁は巨大な欅(けやき)の 組み合わせであるが、釘が使われていないのはとても有名で先人たちの卓越した”技”を感じることができる。

<醍醐寺>
弘法大師の孫弟子である聖宝理源大師が、都の東南の方向に見たことのない雲がなびいている山を見て霊地にしようとして登ったところ, 横尾明神(醍醐山の神)の化身である老人が現れて、そこに湧き出ている水を飲んだ後に『ああ醍醐味なるかな』と言ったとされており、 これが醍醐寺の名の由来になったとされている。理源大師は(874年)に山頂に草庵を造った。これが醍醐寺の創始であるとされている。 五重塔(国宝)は天暦6(952)年に建てられた府内最古の木造建築物である。秀吉の援助で応仁の乱で多くの堂を焼失したが復興することができたといわれており、 1598年に秀吉の有名な『醍醐の花見』が催されたなど秀吉と縁の深いところである。残念ながら本堂の、准胝堂が2009年8月24日未明に落雷(と思われる原因)により全焼し、 以前のように拝観できなくなってしまったものがある。

<仁和寺>
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって建立された「西山御願寺」(にしやまごがんじ)が始まりだとされています。 残念なことに翌年に天皇が死去しその遺志を受け継いだ宇多天皇が888年にらく落慶供養を行ったとされている。平安中期から鎌倉時代にかけて 皇室の尊崇と貴族の庇護を受けた仁和寺は大きく栄えることになり皇子や皇孫が寺の門跡となったことから、現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山である。 応仁の乱の戦火で仁和寺は一山ことごとく焼失したが約100年後の1634年に3代将軍家光の時代になってついに再興された。

<平等院鳳凰堂>
宇治川の西岸にあった源重信の別荘を藤原道長が譲り受け、その子頼通が1052年に宇治殿を天台宗の寺院「平等院」としたといわれており、 1053年には阿弥陀堂が建造されたが、1336年に楠木正成によって建造物の大半が焼かれ、さらに応仁の乱で衰退していった。 鳳凰堂と知られる阿弥陀堂には阿弥陀如来が極楽浄土にいる菩薩達を従えて迎えに来るという浄土思想を描いた「来迎図」がある。 そして阿弥陀如来坐像。平安時代を代表する名仏師、定朝の作品の中で、唯一残るといわれる貴重なものだ。 全部で52体ある「雲中供養菩薩像」も、もちろん定朝一門の作だ。

<宇治神神社>
醍醐天皇が延喜元年(901年)に社殿を築造したことに創まるという説があるが確かではない 平等院建立の後、藤原氏が宇治上神社はその鎮守社として位置ずけ、崇敬を集めたといわれている。 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀る。本殿は日本最古の神社建築。

<高山寺>
774年光仁天皇の勅願によって開創されました。1206年、明恵上人が中興の祖として再建を果たした。 石水院(国宝)は同上人が後鳥羽院より学問所として賜ったものです。この土地で二つの文化が誕生した、 一つは栄西禅師が中国から持ち帰った茶種を明恵上人が植えたという日本最古の茶園の伝承があり もう一つは漫画の原点となる「鳥獣人物戯画」の事を忘れてはならないだろう。

<西芳寺>
奈良時代に行基が法相宗の寺として開山。聖徳太子の別荘だったという説もある。暦応2年(1339)に作庭の名手・夢想疎石が庭を整え臨済宗の禅寺として再興した。 120種類の苔は応仁の乱で荒れた庭に偶然生え始めたものである。苔が歩道以外の地面を覆い尽くす場景は、究極の庭園美でないだろうか。後の足利義満や義政も ここの庭園を手本にしたほど。

<天竜寺>
1339年足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため建立した臨済宗天龍寺派の総本山。夢窓国師を開山として創建した禅寺。 幾度も焼失を繰り返した境内で、唯一、造られた当時の姿を残す庭。造った人は夢窓疎石。 天竜寺は京都五山第一位として広大な寺領を持ち勢力を振るっていたのですが、室町幕府の衰亡とともに衰えました。 当時は渡月橋の辺りも境内に含まれていたという。

<鹿苑寺(金閣寺)>
1397年、足利義満が西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸をおいた。尚、鹿苑寺とは義満の死後名づけられた。 ”黄金の国ジパング”と呼ばれたのは金閣寺の影響もあるだろう。いわずと知れた北山文化の象徴として国内外に知られる名刹。 明との貿易で巨額な富を築いた義満は自身の権力を象徴するかのように黄金の館を建てた。

<慈照寺(銀閣寺)>
足利義政が文明14(1482)年に開いた山荘である。祖父の義満が建てた金閣寺にならって建立した。 義政の死後遺命で臨済宗相国寺派の寺に改められ慈照寺となった。義満の金拍と正反対で実に 渋く、侘びさびの世界を漂わしている。義政は諸芸道の達人を集め、芸術三昧の晩年を過ごしたとされています。 ”美”の研究に没頭した。

<龍安寺>
1450年に応仁の乱の東軍の大将である細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した寺。 龍安寺は禅の心を表す石庭として大変有名なお寺で、この庭の作者・作庭意図ともにいまだに不明である。 どの位置から見ても15個すべては見ることはできないという石の配置も、また不思議である。 佗び寂びの精神に基づく禅寺の簡素な庭や寺南側にある広大な回遊式庭園なのが龍安寺の大きな魅力でもある。

<本願寺(西本願寺)>
1272年に開山し、浄土真宗本願寺派の本山である。「お西さん」とも親しまれている。 境内に一歩入っただけでも御影堂、阿弥陀堂の威容に圧倒されるのは当時の空気が濃密に感じられるからだろう。 秀吉の聚楽第から移築されたという、奇妙な建築「飛雲閣」は、金閣寺、銀閣寺と並び飛雲閣は京都三名閣の一である。 そして、北能舞台は能役者であれば、死ぬまでに一度は立ちたいとされる舞台である。

<二条城>
1603年徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿館として建設した平城。 狩野派を中心にした豪華な障壁画と特別名勝の庭園が見どころで、京の町に突然現れた 江戸・徳川将軍の城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほかに15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。

第二週目は京都の十七の神社仏閣をご紹介してきました。(<比叡山延暦寺>については先週号の中でお伝えいたしました。)いずれの世界遺産もとても貴重であり、これらをこれから先の未来に 残していく為に私たちは何をすべきか考える必要があると思います。 さて、第三週目は390年の間に生みだされた数々の文化、風習をお伝えいたします。乞う期待!!

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