古都奈良の文化財誕生の謎を解く 古都奈良の秘話に迫る
古都京都の文化財 登録されている十七の神社仏閣 日本独自の文化形成・国風文化
屋久島の歴史と共に息づく生命
山岳地帯で育まれた合理的な暮らし
戦乱の中に刻まれた歴史と工夫
平安京の歴史&古都京都の文化財の成り立ち 約390年におよぶ京都の栄華・平安京の誕生と、世界遺産に登録された 「古都京都の文化財」各所の歴史について学ぶ
“古都京都”と聞いて我々日本人は何を想像するのだろうか? 現在、私達が住んでいる場所、世代、年齢、勿論、性別に関係なく、想像できる事は、 ”京都は日本らしい”、”日本の文化がたくさん残っている”、”なぜか懐かしく感じる”、 ”修学旅行” などではないだろうか。 では、なぜ多くの日本人がこのように思うだろう?それは、 やはり390年続いた平安京”京都”を中心に時が過ぎ、 そして1200年という想像を絶する膨大な時を経て今なお繁栄し続けているからだと思う。
日本だけではなく、世界にも多く知れ渡っている京都の文化財が世界遺産に登録されたのは 1994年12月のことで丁度この年は平安建都1200年だった。登録されたのは、 京都市内及び周辺の17ヶ所の寺院、神社、城である。
”四神相応”は風水学的に最高の吉相といわれる地相である。 その風水が哲学という形で日本に602年頃に入ってきた。”風水”は地理風土や気候といった自然環境と人間が活かし合う為に理論付けられたもので、 やはり”自然”がとても深く関与している。我々日本人は太古の昔から自然を崇め、自然と共に生きてきた。 このような経緯から、”風水”の考えを素直に受け入れるのは容易なことだろう。
風水による地理的条件とは、東:豊かな川の流れがある(鴨川)西:大きな道があり交通の便が良い(山陰道) 南:広大な平野や海があり視界が開けている(巨椋おぐら池:現在はない)北:山や丘陵がある鞍馬山、貴船(きぶね)山、船岡(ふなおか)山などである。
繰り返すが、このように潜在的な自然に対する意識の中で昔の人達は様々な知識や価値観を獲得していったのではないか。 そして、794年(延暦13年)10月に遷都が宣言された。これが、平安京の始まりである。
その都から鬼門(北東)に位置する比叡山に唐から帰国した最澄が、 天台宗を開き延暦寺を建てた。ここを天台宗の根拠地とした。唐に留学する前にすでに桓武天皇に才能と力量を認められていて、 最澄の名は広く知られていた。しかしながら、この地位に甘んじることなく、真の仏道の教えを学びに唐への留学を望んだ。 勿論、この時代の渡唐(遣唐使、そして先の時代の遣隋使)は大変極まりなく危険で成功したのは約1割とも言われている。 同船した空海もさることながら、幾人もの先人たちは命を賭けてでも海外文化、新しい ”もの”を導入した。 そうした海外からの文化受容の積極さにも日本=四方を海に囲まれているという地理的な理由も少なからず関係しているのではないだろうか。 話を戻すが、最澄が建立した比叡山延暦寺は都の鬼門除の寺とされ、貴族の信仰も高まっていき全国に広まる大寺院となった。 天台密教の拠点として、後に、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など多くの高僧たちを輩出する事になる。 世界遺産に指定されている境内は広大で、根本中堂(国宝)、大講堂(重要文化財)の他、美術工芸品を含めて10にのぼる国宝、 50以上の重要文化財を有する。
このように平安初期の歴史背景がその後の平安中期、後期に多大な影響を与えたのは言うまでもない。特に、先にお伝えした 天台、真言の伝来から、日本の仏教の中心は密教的仏教へと変わりと同時に新たな仏教美術が興った。 さらに、飛鳥、奈良時代、わが国は中国・唐の文化を学んできたが遣唐使の廃止によって、唐から伝わった文化を 日本の風土、日本人の生活に即したものに改め、独自の文化を築き上げていった。国風文化と呼ばれているがこれが今の日本文化の根幹をなしていると言っても過言ではないだろう。
「古都京都の文化財」特集第1週は、平安京の成り立ちとその時代背景、そして世界遺産の延暦寺をご紹介致しました。来週は、十七箇所の世界遺産をご紹介します。乞うご期待!!