古都奈良の文化財誕生の謎を解く 古都奈良の秘話に迫る
古都京都の文化財 登録されている十七の神社仏閣 日本独自の文化形成・国風文化
屋久島の歴史と共に息づく生命
山岳地帯で育まれた合理的な暮らし
戦乱の中に刻まれた歴史と工夫
平城京の歴史&古都奈良の文化財 誕生の謎を解く 約80年におよぶ奈良の栄華・平城京の誕生と、世界遺産に登録された 「古都奈良の文化財」各所の歴史について学ぶ
The Japan.Infoの世界遺産特集第2弾では、1998年12月にユネスコ世界遺産委員会より日本で9番目の世界遺産として登録された「古都奈良の文化財」を紹介する。
元々、世界遺産とは1972年ユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて登録された、遺跡や景観・自然、そして人類が共有すぺき「顕著な普遍的価値」をもつ場所や建造物を意味する。「古都奈良の文化財」はその中でも、奈良に首都が置かれた平城京時代に開花した建築物や文化などの歴史的価値が認められ、世界遺産登録に至った。具体的には、「人類の歴史の上で重要な時代を物語る優れた実例―日本の国家や文化の基礎が整った重要な時代である奈良時代の様子を伝えている」、「芸術や技術の発展をもたらした重要な文化交流を示すものー中国や朝鮮との交流によって日本の文化が大きく発展したことをしめしている」などがその理由だ。
それでは、奈良時代に奈良に首都・平城京が置かれた経緯&歴史についておさらいしてみよう。元明天皇によって平城京に都が置かれたのが710年(和銅3年)。律令制にもとづいた政治を行い国力をさらに増大させるため、飛鳥に近い藤原京から、奈良盆地の北のはしに都が移された。なぜこの地が都に選ばれたというのは、708年(和銅元年)に発表された天皇の文書に隠されている。「平城の地は、四神に対応している地形であり、三山が鎮めをなしている地である」と平城の地に対して記され、その「四神」とは、中国の古代思想にでてくる空想的動物で、1.玄武(げんぶ)、2.青龍(せいりゅう)、3.朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)のことで、それぞれ北、東、南、西を表す。これに対応する地形というのが、玄武―高山、青龍―流水、朱雀―沢畔(沼)、白虎―大道を意味する。また、「三山の鎮め」は北にある奈良山丘陵、東の春日山、西の矢田丘陵のことで、3つの山が都を守るとされていた。都選択だけでなく、平城京自体の作りもまた、唐の長安を模範にして作られたという説が有力で、ここからも、上記の世界遺産に登録された理由のひとつである「中国や朝鮮との交流によって日本の文化が大きく発展した」ということが解る。
都を平城京へ移してから、794年(延暦13年)に桓武天皇によって平安京が遷都されるまでの84年間のことを奈良時代と言うのだが、歴史としては短期間のこの時代に都はいくつかの変化を遂げている。740年(天平12年)に恭仁京(くにきょう/現在の京都府木津川市)への遷都によって平城京は一時的に放棄され、745年に再び平城京に遷都、その後784年(延暦3年)、長岡京(ながおかきょう/現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)に遷都されるまで、平城京が政治の中心地として栄華の時を築いたのは、実は約70年しかなかった。その間、飛鳥時代に建築された寺社が平城京に移されたり、国力の増大を明示する寺社、そして奈良時代の独特の文化である天平文化を象徴する寺社の数々が誕生した。そして、その寺社などが、現在、世界遺産『古都奈良の文化財』として注目を集めている
世界遺産に登録されたのは全部で8ヶ所で、元興寺、興福寺、薬師寺、東大寺、唐招提寺、春日大社などの建物だけでなく、地下に埋もれた遺跡である平城宮跡や手つかずの自然を誇る春日山原始林などもある。各所の誕生と歴史は下の表にてチェックしよう。
このように奈良時代、平城京を中心に栄華を極めたこの地に、1998年の世界遺産登録時より、再び注目が集まっている。2010年、それは、710年に平城京が遷都されてから1300周年にあたる。「平城遷都1300年祭」と題して、1年後に控えた大祭典を今から盛り上げるため、各地でイベントが開かれているのはご存知だろう。The Japan.Infoでおさらいした平城京、そして世界遺産『古都奈良の文化財』の知識を活かし、日本が世界に誇る平城京の未来をこの目で確かめるためにも、一緒に「平城遷都1300年祭」を盛り上げてみてはいかがだろうか。詳しい情報はこちらから(平成遷都1300年祭公式サイト)
「古都奈良の文化財」特集第1週は、初級編とし、平城京と世界遺産登録スポットの歴史を紹介致しました。来週は、歴史の授業からちょっと抜け出し、あまり知られていない「古都奈良の文化財」各地の秘話をご紹介します。乞うご期待!