古都奈良の文化財誕生の謎を解く 古都奈良の秘話に迫る
古都京都の文化財 登録されている十七の神社仏閣 日本独自の文化形成・国風文化
屋久島の歴史と共に息づく生命
山岳地帯で育まれた合理的な暮らし
戦乱の中に刻まれた歴史と工夫
日本の源郷熊野への旅 果無山脈ともいわれる無限に連なる山々と、補陀落浄土へと続く海。神域として護られて来た原始の森と那智の大瀑布。日本人の魂の原郷に案内致します。
熊野へ旅をする前に、まず知っておかなくてはいけないのが「熊野三山」。熊野本宮大社、熊 野速玉大社、熊野那智大社の総称で、「高野山」「吉野・大峯」と共に「紀伊山地の霊場と 参詣道」として2004年に世界遺産に登録された土地である。ユネスコ世界遺産委員会が満 場一致で登録を決定したその理由は、「文化的景観の価値」にある。一見、少しわかりづら いが文化的景観の価値とは、「自然と人間の営みが長い時間をかけて形成した風景」のこと で、ただの社寺と道ではなく、あくまで、山岳信仰の霊場と山岳修行の道であり、紀伊山 地の自然がなければこの素晴らしい景観が成立しなかったということが、世界レベルで認 められたという証なのである。
今から約二千年ほど前に始まったとされる「熊野信仰」は、山と海に囲まれた熊野の地形が大きな理由となっている。古来の人々は山と海を介して「他界=浄土」と考えており、大自然の圧倒的な存在感と力を感じさせる熊野は、「恵み」、「繁栄」、「循環」、「再生」などのパワーを授けられる聖地として崇められ、それゆえに、山岳修行と、海辺(辺路)を巡る修行の絶好の場とされた。また、熊野信仰の神である「熊野権現」は、熊野三山の各社に祀られており、それぞれ違った神々の聖地となっている。熊野速玉大社には薬師如来(過去世の救済)、熊野那智大社(写真一番上)には千手観音菩薩(現世の利益)、そして熊野本宮大社(写真二番目)には阿弥陀如来(来世意の加護)が鎮座され、人々はこの神々を熊野三山で巡拝してこそ、心と体が甦り、人間本来の美しい姿に立ち戻ると考えられている。
そんな熊野信仰を慕い、古くから絶え間ない人々が聖地「熊野」を目指した。その旅人たちが歩いた参詣道が熊野古道として、現在は観光名所にもなっている。小辺路、中辺路、大辺路、伊勢路、大峯奥駆道の全部で5つある熊野古道の中でも、特に和歌山県田辺から熊野本宮本社までのルートは「中辺路(なかへち)」と呼ばれ、京都から聖地・熊野を目指した後鳥羽上皇も辿った道。後鳥羽上皇の熊野行幸に動向した藤原定家が記した日記「後鳥羽院熊野御幸記」には、その道すがら催された和歌の会や相撲の様子が記されている。また、大阪から中辺路までを結ぶ道「紀伊路」には「王子(おうじ)」と呼ばれる熊野権現が祀らた祠(ほこら)が、全部で100以上もある。この祠は「九十九王子」と呼ばれ、人々は王子で身も心も清めながら、熊野三山を目指していた。
一般市民だけでなく、上皇のような朝廷人までを、浄土を求め熊野の地に引き寄せてしまう熊野信仰の篤さには驚かされるものがある。電車やバスのような交通機関が無い時代に紀伊地方にたどり着くことさえ、かなりの時と労力が必要だったはず。さらに、熊野小道の道なみは、急な斜面を行く山道のような場所も多く、けっして楽な旅では無いのである。それでも、訪問者が耐えないこの地には、苔生す古道、森の木々、何千年も生きる巨木、清流のせせらぎなど、過酷な長旅が全く苦にならないほどの自然の癒しの力が存在するのではないだろうか。
一言で語りきれない熊野の魅力。ほかにも、日本三名瀑のひとつで、熊野那智大社の目の前にて荘厳な姿を見せる「那智の滝」(写真一番上)、熊野古道の絶景地「百間ぐら」、温泉として世界で始めて世界遺産に登録された「湯の峯温泉」など、数々の名所が存在する。
古来から日本人の魂を癒して来た熊野、その「和の自然」の原郷へ訪れてみては。
第2週「聖地・高野山を歩く」を読む