古都奈良の文化財誕生の謎を解く 古都奈良の秘話に迫る
古都京都の文化財 登録されている十七の神社仏閣 日本独自の文化形成・国風文化
屋久島の歴史と共に息づく生命
山岳地帯で育まれた合理的な暮らし
戦乱の中に刻まれた歴史と工夫
肥後国熊本に、熊本城の歴史と同じ400年も続き伝わる国指定伝統的工芸品肥後象眼。その長い伝統に裏打ちされた熊本県を代表する金工品です。深い黒地に浮かぶ金銀の精巧な技術、使うほどに増す美しさ。肥後象眼は、地金に刻んだ溝に金銀を埋め込んで分用を表現する工芸です。布目切りと呼ばれる、鉄地にタガネで四方向から布目を入れ、地価の角で金銀を打ち込む技法は、大変緻密で手のかかる作業。まさに、職人芸ともいえるその技術は、完成品をみれば一目瞭然、その美しさにかの肥後藩主細川候がステイタスシンボルとしてあつらわせていた工芸品。もともとは、細川藩時代の刀の鍔(つば)の装飾として、細川忠利が鉄砲鍛冶:林又七を仕えさせていたことが始まりという。「肥後鍔とよばれ、この刀を携行することが、当時の武士のダンディズムでもあったといわれます。明治9年に廃刀令が出されると、肥後象眼の匠たちは、刀の飾りから、装身具へと転身し「あつらえ」としてその技術は残されています。肥後象眼にはそんな武家文化の美学が凝縮され、時代が変わり、対象が刀から装身具などに変わっても、根底に流れる「ステイタスシンボル」としての美意識は変わらず根付いています。
伝統工芸というと「伝統の技法で、昔と同じ材料を用い、昔と全く同じものを制作する工芸」と思われることが多い。しかしそれは伝承工芸のことであり、白木氏の語る伝統工芸とは「伝統の技法で、伝統の材料を用い、伝統の特色を活かし、その時代のニーズにこたえるものを創作する工芸」という。もともと肥後象眼とは、武家文化に伝わる文化がつくりだしたもの。従来あるものを守り続けるということは大切なことだけど、「伝統的なものをつくる」ではなく「その時代時代にあった作品を造り続けていく、そしてこの伝統を受け継ぐことが大切」という。
現在、熊本県肥後象眼伝統工芸技術は、後継者育成のためのプログラムを平成12年よりスタートさせている。講座は月に2回、午前10時から午後4時までみっちり肥後象眼の技術を教えている。この道を志す若い人達に技を教え、伝統を理解してもらうことを目的としている。趣味としてではなく、本気で伝統を継いでくれる人を育てたいからと、40歳以下の方という年齢制限も設けているそう。歴史背景などのしっかりとした土台を学び、そのうえで技術を伝承してもらいたい、という白木氏の熱い想いを授かるかごとく、取材を行った当日も、熊本県伝統的工芸館では真剣な面持ちの生徒さんたちが一生懸命作品を作っておられた。今春、その後継者育成プログラムより、海外スペインに象眼留学をされる生徒さんを輩出した。16世紀ヨーロッパ、スペイン王国の王室から貴族に親しまれていた装飾象眼細工。伝統に若いエネルギーと感性をいかして、外の文化と技術を学ばれて、是非後世に伝わる肥後象眼を制作されることでしょう。
編集後記取材当日、実際に象眼作品づくりを体験させて頂きました。0コンマ1ミリの感覚で動かしていくタガネ。少しでもその溝の幅、深さがくるうと金銀は入らない。四代目良明さん、プログラムの生徒さんに金槌の握り方、タガネの置き方、動かし方を丁寧に教わりながらも、やはり伝統の技術は難しく、なかなか思うように金槌を打ち進める事に悪戦苦闘。隣では、カンカンカンカンカンカンカン、とリズムよく動かす白木氏の一打一打に職人の成せる業を肌で感じた瞬間でした。 若い世代への伝統文化継承に力を注ぐための熊本県伝統的工芸館で行われている後継者育成プログラム、私たち日本人が誇りにすべき伝統工芸を引き継いでいくのに重要な役割を担っていると思います。これからも、熊本が誇る素晴らしい「肥後象眼」造り続けてください。 今回お忙しい中、取材に協力して頂きました白木光虎氏、丁寧に説明をして下さいました四代目良明氏、またプログラムの生徒さん方々に感謝申し上げます。